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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)2825号 判決

昭和五七年(ネ)第二六八五号事件控訴人(第一審被告)

東京都

右代表者東京都知事

鈴木俊一

右指定代理人

金岡昭

外三名

昭和五七年(ネ)第二六八五号事件被控訴人

同年(ネ)第二八二五号事件控訴人(第一審原告)

沼田陽一郎

右訴訟代理人弁護士

大西幸男

浅野憲一

昭和五七年(ネ)第二八二五号事件被控訴人(第一審被告)

右代表者法務大臣

鈴木省吾

右指定代理人

榎本恒男

外二名

主文

一  原判決中、昭和五七年(ネ)第二六八五号事件控訴人東京都の敗訴部分を取消す。

二  同事件につき、被控訴人沼田陽一郎の控訴人東京都に対する請求を棄却する。

三  昭和五七年(ネ)第二八二五号事件控訴人沼田陽一郎の控訴を棄却する。

四  両事件につき訴訟費用は第一、二審とも昭和五七年(ネ)第二六八五号事件被控訴人兼同年(ネ)第二八二五号事件控訴人沼田陽一郎の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(昭和五七年(ネ)第二六八五号事件)

一  控訴の趣旨

主文第一、二項同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

控訴棄却

(昭和五七年(ネ)第二八二五号事件)

一  控訴の趣旨

1  原判決を取消す。

2  被控訴人国は、控訴人に対し金五三九万〇七三〇円及びこれに対する昭和五〇年一〇月二六日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人国の負担とする。

4  仮執行宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文第三項同旨

第二  当事者の主張事実及び証拠

昭和五七年(ネ)第二六八五号事件及び同第二八二五号事件とも原判決事実摘示及び当審証拠目録記載のとおりである。

理由

一本件の概要について

請求原因のうち、一 本件の概要1ないし4の各事実は当事者間に争いがない。

二本件逮捕について

昭和五七年(ネ)第二六八五号事件被控訴人兼同第二八二五号事件控訴人(以下「原告」という。)が逮捕された経過については、左記のとおり付加訂正するほかは原判決理由説示(同判決四枚目裏九行目から八枚目表七行目まで)と同じであるからここに引用する。

1  同五枚目表一行目「第一七号証、」の次に「丙第四号証、」を、同表二行目の「松下星路」の次に「(いずれも原審及び当審)、証人強瀬豊吉」を、同二行目の「総合」の次に「(ただし、右甲第九七、第一一〇、第一三二号証の各記載のうち、後記のとおり措信しない部分を除く)」をそれぞれ加える。

2  同五枚目表六行目の「六時四〇分」を「六時三〇分」に改める。

3  同六枚目表一〇行目以下同裏二行目までを削除し、これを次のとおり改める。

「太田・松下両警察官は、右爆竹を投入した者が原告であることを現認したが、後記の理由により原告を直ちに検挙する行動には出ず、従前の警戒を継続した。」

4  同六枚目裏七行目の「そこで、」から七枚目表二行目までを削除し、これを次のとおり改める。

「そこで、太田・松下両警察官らは、これを機会に原告を逮捕すべく、一二、三名の警察官とともに寄場内に突入し、原告に接近したが、同人は労務者仲間ら多数と移動を始め、逮捕することはできなかつた。こうして、寄場内の労務者は全員散り散りになつて路上に退出したが、その際、労務者の一人である山岡憲一が、火のついた紙を投入した等の疑いで数名の警察官によつて逮捕されたが、その場に居合わせた松下警察官も右逮捕に協力した。」

5  同八枚目表六、七行目を削除し、「以上の事実が認められ、右認定に牴触する後記四の各証拠はいずれも採用しない。」に改める。

三太田・松下両警察官の本件犯行現認の真否について

前示認定のとおり、太田・松下両警察官の原告逮捕は、寄場内における原告が本件爆竹投入をしたことの現認がその前提となつているものであるから、その旨の前記書証中の記載及び両名の証言等の証拠が果して措信できるかどうかにつき以下検討する。

1  先ず、本件爆竹投入事件が発生した当時、原告が本件寄場内にいたことは、当事者間に争いのないところであるが、同所にはかなり多数の労務者のいたことは前示認定のとおりであるから、両警察官の原告の犯行現認が人違いでないかどうかが問題となる。

そこで、検討するに、太田警察官らが原告を逮捕した日である昭和四九年一月一六日付の現行犯人逮捕手続書(乙第一号証)には、「午前七時二分ころ、濃い草色のジャンパーを着、白色タオルで頬かむりをした中背、細面、アバタ顔の男が爆竹を投げ込んだため、求人受け付け事務所内では、「バンバン」と音がし騒然となつた。」旨の記載があり、そして、〈証拠〉によれば、両警察官は、本件の発生日時以前から公務により山谷労働センター付近に屡々来る機会があり、同所付近を警備通行中、何回となく原告の顔を見知つており、浅草署員から同人がいわゆる現闘委グループの一員に属する沼田と呼ばれている人物であると聞かされていたものであり、また同人は、労務者仲間からも「あばた、あばた」と渾名され、さらに顔全体に赤味を帯びており、同人のこれらの特徴こそ同人を他の労務者とはつきりと区別する重要な特徴であることが認められるのである。

そして、右寄場内において本件事件の発生時、原告のような特徴のある容貌の人物が他にも居合わせたとの事実を認めるべき証拠はなく、かつ、通常、原告のような容貌の持主は何人にもその特徴を把え易く、他人と見まちがえることは殆どありえないところであることからすれば、両警察官が右日時ころ寄場内で現認した人物が原告であるとする同人らの供述は措信するに足りるといわなければならない。

なお、前記現行犯人逮捕手続書によると、被疑者の氏名欄に「不詳 黙秘の男(逮捕番号浅草二四号)」と記載されているところからして、原告の氏名を聞知していたという太田・松下両警察官の供述は疑わしいと考える余地がないではないが、前示認定のとおり、原告は逮捕された後、取調官に対して完全黙秘を通していて、自己の正確な氏名を告げようとしないのであるから、他からその氏名を聞いていたに過ぎない逮捕者としては原告を氏名不詳とした上「身長一六三センチぐらい、やせ型、髪短く細面であばたあり、ねずみ色ズボン地下たび」との被逮捕者の特徴を記して、人物を特定したことは、被疑者の特定方法として相当であり、かつ、これを以て十分というべきである。よつて、同書面に原告の氏名を記載しなかつたことをとらえて、両警察官の前記供述の信用性に疑念を投ずべき理由とすることはできないというべきである。

2  次に、〈証拠〉によると、以下の事実を認めることができる。

本件事件発生当日、太田・松下両警察官は、午前六時半ころから、本件寄場内における前記A点(太田)、B点(松下)から硝子戸越しに寄場内における労務者の動静を注視していたところ、当日の求人紹介事務がほぼ終り、寄場内の労務者の数が若干減り気味になつた午前六時四五分ころ、紹介窓口6番の近くあたりから、現闘委グループに属する宮腰隆夫、島田鋭二こと山岡憲一、原告、麻生某、久留某ら数名が一団となつて紹介窓口2・3番の前あたりにやつてきて、寄場内の労務者らに立ち向い、宮腰がトランジスターメガホンを使つて前記のとおりいわゆるアジ演説を始め、原告らもこれに呼応していたところ、次いで、午前七時過ぎ、宮腰が演説を続ける一方、宮腰の左後方、窓口2番と3番との間で窓口の方に左肩で寄りかかり、左斜めに半身になつて北側に顔を向けていた原告が、突然右手を肩のあたりまで上げ、横に振るような感じで軽く物を投げるような動作をしたように見えた直後、バンバンバンという爆竹特有の連続破裂音がしたので、両警察官らは、原告が紹介窓口から相談室内に爆竹を投入したと咄嗟に判断し、同時に腕時計を見たところ、時刻は午前七時二分を指しており、そこで、両警察官は、右爆竹投入は原告の犯行によるものであることを相互に確認し合つた。

なお、前記各証拠によれば、本件事件発生直前

(一)  寄場内には螢光燈がついており、場内は比較的明るい状態であつたこと

(二)  当日、紹介窓口1番は終始閉鎖されていたし、開かれていた求人窓口二個は訪れる人も殆どないばかりでなく、日頃から労務者も右近辺に近付かない場所であり、午前六時四五分ころには紹介事務が殆ど終り、紹介窓口2番を除く窓口のシャッターが閉鎖されるに至つたことから、太田・松下両警察官の立つていた前記A・B点から見通しうる寄場内目前のフロアには労務者はおらず、従つて窓口2、3番前で前記のとおり演説し、かつこれに呼応して騒ぐ現闘委グループの活動は両警察官に十分観察できる状況にあつたこと

(三)  原告は手拭で頬かむりをしていたものの、同人の特徴ある容貌をA・B点から十分見分けることのできる姿勢ないし体位であつたこと

(四)  両警察官が立つていた地点から、原告ら現闘委グループが立つていたところまでの間の距離は約四メートルであり、しかもその間に前記のとおり原告らの行動観察を妨げるべき労務者はいなかつたこと

以上の事実を認めることができる。従つて、両警察官の供述記載、証言等はいずれも前記の他の証拠と相まつて十分信用しうると判断するものである。

四反対証拠の検討について

しかしながら、前段の事実認定については、これと牴触し、又は牴触する疑いのある以下の各証拠があるので順次これを検討する。

1  前記乙第一号証(現行犯人逮捕手続書)添付図面によると、不明確ながら、被疑者である原告が、原判決別紙図面(一)のD点付近から紹介窓口を通して爆竹を投入したように表示されており、右表示からすれば、原告が紹介窓口2番から爆竹を投入したとの被疑事実と一致しないこととなるのである。

前記甲第一二二号証(実況見分調書)によれば、確かに、本件寄場の各紹介窓口の構造からすれば、爆竹の投入された2番紹介窓口の近辺にいた人物でなければ、本件犯行は不可能といつてよく、仮に原告が前記のように寄場内のD点付近にいたとすれば、原告は本件犯行と無関係ということになるであろう。

しかしながら、乙第一号証の添付図面に記載された寄場の表示と甲第一二二号証記載の寄場の図面とを対比すれば明らかなとおり、乙第一号証の記載は極めて簡略かつ杜撰であつて、右図示自体から本件犯行の態様を把えようとすることには無理があると認めざるをえないのである。

さらに、〈証拠〉によれば、松下警察官が作成した乙第一号証の添付図面は、本件犯行現場である山谷労働センター、原告が寄場から路上へ出た経路、その後同人が労務者の集団に加わつて路上を進行し、逮捕されるまでの原告の行動を順序を追つて図示することを主たる目的として作成されたものであること、本件寄場に図示した被疑者である原告の位置は、松下警察官の現場の再確認を経ていないあいまいな記憶に基づいて、原告が爆竹を投入した場所を概括的に表わすとともに、右犯行現場と同警察官が原告を逮捕しようとした場所との関係をできるだけ分り易く図示したにすぎないこと(乙第一号証添付の図面が文書の性質上、原告に対する現行犯逮捕として犯行現場と逮捕場所とが近接関係にあることを特に明らかならしめようとの意図のもとに作成されたものであることはいうをまたない。)、右図面作成当時、松下警察官は、本件寄場内の広さ、求人及び紹介窓口の個数・番号、その順序等について正確な知識を持ち合わせていなかつたこと等が認められるところ、これらの点を併せ考えると、前記添付図面が本件犯行当時の寄場内における原告の位置を正確に表示したものと解するのは相当ではないというべきである。

2  前記乙第二号証(司法警察員の作成にかかる太田勝木の昭和四九年一月一六日付供述調書―以下「太田員面調書」という。)によると、「午前七時二分ころ、奥から二番目手前付近の紹介窓口(五番窓口)めがけて、年令はよく判りませんが、私は前に山谷警備に来て顔の知つている、顔のアバタの沼田陽一郎が爆竹をなげたのです。爆竹は、紹介窓口から事務所内部に投げ入れたので、バンバンと七、八連発ぐらい爆音がしました。」という記載がある(なお、右書面上には、右「奥から二番目」の「二」は、「三」を「二」に、「(五番窓口)」の「五」は、「六」を「五」にそれぞれ訂正された結果であることの形跡が顕著に残つていることが認められる。)。

ところで、前示のように、本件寄場における爆竹の投入は、紹介窓口2番を通して実行されたのであるから、右員面調書の記載のように紹介窓口5番からの投入というのは事実と符合せず、右は記載自体の単純ミスか、或いは、供述者の記載違いないし認識の誤りであつたのかどうかという疑念を生じさせるものであり、いずれにせよ、本件犯行を目撃したという太田警察官の本件発生後まもない時期における供述であるだけに、その信用性の吟味は重要であると考えられる。

のみならず、右員面調書の記載にかかる爆竹投入の窓口番号は、「奥から三番目手前付近の紹介窓口(六番窓口)」と記載されていたところを前記のように訂正されたものであることが窺知されうるのであるが、〈証拠〉によると、右員面調書は、本件被疑事件が東京地方検察庁へ送致され、事件担当の押谷靱雄検事の捜査が行なわれている段階において、供述者である太田勝木警察官及び事件担当の押谷検事のいずれからも同意を得ることなく、右両名の知らないうちに何者か(おそらく右員面調書の作成者又は同人の指示を受けた者と推認される。)により前記のとおり訂正されたものであることが認められる。

調書訂正の経緯が右認定のとおりだとすると、本件被疑事件についての所轄警察署の捜査に対する社会的信用性の低下を招来しかねない遺憾な事柄といわざるを得ないのであるが、その点はしばらく措くとして、右員面調書における太田勝木警察官のなした供述については、その中味に関する限りあくまでも前記訂正がなされる以前の「奥から三番目手前付近の紹介窓口(六番窓口)」という内容に帰着すると解するのが相当である。

そうすると、奥から三番目の窓口は4番窓口であるから、右記載自体矛盾しており、また、すでにみたとおり、本件爆竹投入の窓口は、紹介窓口2番であるから、太田警察官の述べた紹介窓口が4番であつても6番であつてもいずれも事実に反することになる。

そこで、検討するに、〈証拠〉によれば、太田警察官は、原告を逮捕したときはもちろん、右員面調書の作成に応じた段階においても、本件寄場内の窓口の個数及び番号の付けられた順序等について全く念頭になかつたものであり、所轄警察署の取調官から爆竹投入の窓口番号を尋ねられた際もこれに全然答えることができず、却つて取調官に窓口の個数を反問すると、取調官から六つあると聞かされた(右教示は極めて不正確である。)ので、手前から四番目の窓口(すなわち紹介2番窓口)を意味するつもりで奥から三番目の窓口あたりではないかと返答したことが認められるのであり、爆竹投入窓口の番号を6番であると自ら積極的に答弁したとまでは確認することができないのである。従つて、太田警察官が取調官に対し述べたのは、員面調書に則していえば、「奥から三番目手前付近の窓口」という点までであつて、右窓口が「紹介窓口」であるとか、更に紹介窓口の六番窓口であるとかいう点迄供述したわけではないのであるから、同調書中、右紹介窓口がかつこ付で「(六番窓口)」というように記載されているのは、取調官自身の解釈又は説明的記述(しかも客観的には誤つているのであるが)にすぎないと解されるものである。

3  前記乙第五号証(松下星路の昭和四九年一月一六日付員面調書)によると、「六番窓口のすぐ前にいた沼田の右手が上り、その手が前方に振り下され、窓口めがけて何か投げ込んだようなしぐさが目に映つたのです。その瞬間窓口内でババババーンという音 五〜六回したのです。私は沼田が爆竹を投げたなと思い、すぐ右手の腕時計を見ると午前七時二分を腕時計の針は指しておりました。」という記載がある。そうだとすると、松下警察官の現認した状況は本件犯行が紹介窓口2番でなされたことと符合しないこととなるのである。

しかしながら、〈証拠〉によると、松下警察官は、本件寄場内を観察したのは事件当日が初めてであり、窓口の数とか番号等についての知識はなかつたものであり、事件当日取調官から爆竹投入犯人のいた場所を聞かれた際、犯人は窓口の並びのうち、まん中あたりではないかという程度の記憶しかなかつたのであるが、それを「手前から六番目ぐらいの窓口ではないか」というような漠然たる表現で返答したところ(後記のとおり、松下警察官が寄場内を観察していたところから、窓口の番号を特定することは甚だ困難であつて、わからないと答えるべきであつたと解される。)、前記のように原告のいた場所が「六番窓口」という特定の個所として供述したように記載されるに至つたものであることを認めることができる。ところが、さらに、右松下及び押谷両証言によれば、同警察官は、その当時、自分が原告の犯行を目撃したこと自体が重要であつて、それは右調書に記載済であるところからそれで十分であり、場所の特定についてはさほど重きを置かず六番でも六番付近でも大差はないと考えていたため、前記のように自己の供述が不正確に記載されたことに対し特段訂正の申入をする必要を感じていなかつたことが認められるのである。

右認定事実からすれば、右員面調書を作成した取調官も、供述者である松下警察官も共々、本件爆竹の投入窓口を厳密に特定することにさほど意を用いていなかつたことが窺われる。従つて、押谷証人が供述するように、押谷検事が本件捜査を進めるにあたり、松下員面調書の前記記載が本件犯行場所である窓口の特定に何ら意味をもたず、かつまた、松下警察官の右窓口に関する認識が必らずしも明確ではないとして、後記のとおり同警察官らを指導したことはいずれも首肯するに足りるところである。

してみれば、松下員面調書の記載内容の中に原告の本件犯行場所の特定について不正確な部分があることからこれをもつて松下警察官の本件犯行の目撃そのものを否定すべき資料と解するのは早計であると云わなければならない。

4  ところで、太田・松下両警察官が寄場内を観察していた地点からは、場内の窓口番号を確認できるのであつて、両警察官が前記員面調書において本件犯行を目撃していながら、犯行窓口の特定について不正確な供述をしていることは、とりも直さず原告を犯人と現認したという供述に無理があるからではないかとの疑問が一応成立するのである。

そこで検討するに、原審検証の結果によれば、確かに両警察官の立つていたA・Bの各地点からガラス戸越しに寄場内の窓口全部を一応見通すことができ、かつ、紹介番号札を見分けることができるといえるのである。

しかしながら、右A・B各地点から見通す窓口及び番号札はいずれも極端な斜め方角(奥へいくほど急角度になる。)からの観察によるものであつて、原審検証調書添付写真(1)、(2)によつても、右窓口及び番号札等がそれほどはつきりと確認できるものとは思えない。

況して、右窓口の数とか番号札等は、それ自体を観察する目的で視野に入れようとする場合ならばとも角、すでに認定したとおり、両警察官が事件当日前記A・B各地点に立つていた目的は、寄場内の多数の労務者らの動きを注視することに主眼があつたことからすれば、事件発生の直前、両警察官が窓口の個数とか、窓口に求人、紹介の区別のあること及び番号札等を明瞭に観察したうえ、これらを識別し、記憶していたものと期待するには少なからぬ無理があるといわざるを得ないのである。

そうだとすれば、前記各員面調書において記載されているように、両警察官が窓口の数、種類、番号等について思いちがいや、あいまいな供述をしていたとしても、右はやむを得ないものであつて、これらの供述があるからといつて、寄場内における労務者らの動きに関する両警察官の他の供述までも排斥するのは失当というべきである。

5  さらに、〈証拠〉によれば、すでに認定したとおり、太田・松下両警察官は前記A・B各地点から本件寄場内を観察していたところ、原告が2番窓口から爆竹を投入するのを目撃したとの供述がなされた旨の記載があり、これを両警察官の前記各員面調書における供述と対比すると、窓口番号に関する限り明らかに供述を変更したことに当るものである。

しかしながら、〈証拠〉によれば、本件捜査担当の押谷検事は、右各員面調書記載の本件犯行窓口に関する両警察官の供述がいずれもあいまいかつ不合理な内容であることに思いを致し、両警察官を取調べるに際し、同人らに対し本件犯行現場である寄場内における被疑者(原告)の動きにつき右現場で再確認するよう二度にわたり指示したこと、そして、右指示に従つて両警察官は寄場に赴いてあらためて当日の自分が現認した場所に立つて別の人間を原告のいた場所に立たせて確認した結果、爆竹投入窓口の番号を確認したうえ、押谷検事の取調べに臨んだことが認められるのであつて、こうして作成された両警察官らの検面調書であることに鑑みると、両警察官の右供述の変更は、いずれもまことに相当であつて、何ら異論を挟む余地はないというべきである。

6  太田・松下両警察官は、原告が2番窓口から爆竹を投入するのを現認したというけれども、同人らは、右事実を上司に直ぐ報告もせず、犯人だとする原告を目前にしながら直ちに逮捕することなく、警備活動を続けていたこと、そして、同人らが原告を逮捕したのは、右事件後約四〇分経過して後のことであることからすれば、原告の逮捕は、原告が本件爆竹投入事件発生後、仲間とともに労働センター近くの路上を進行中、偶々爆竹を鳴らしたことをとりあげ、これを寄場内の爆竹投入と結びつけた違法逮捕の疑いがあると原告は主張する。

そこで検討するに、〈証拠〉によると以下の事実を認めることができる。

(一)  昭和四九年一月一六日早朝、労務者らは職を求めて山谷労働センターに集まり、午前六時三〇分から求人・紹介事務が開始されるや、約一五〇名の労務者が同センター寄場の紹介窓口に殺到したが、日常は、約二五〇件の求人申込があるのに、当日は一八九件の申込しかなくこのため、紹介事務は約一〇分位で終了してしまつた。

(二)  仕事にあぶれた労務者らのうち多数の者は、なお就労を期待しながら寄場内で待機していたが、労務先の紹介が一向に続行されないばかりでなく、前日まで東京都から支給されていた生活扶助費が当日以後は打切りとなる旨の東京都の掲示が寄場内の壁に貼り出されてあつたことも加わつて、労務者らは次第に憤懣を募らせ、不穏な気配が漂い始めたところ、午前六時五〇分ころ、前記のとおり、宮腰、原告ら、いわゆる現闘委グループ数名が現われ、窓口2・3番を背にして、宮腰が労務者らに向つて、「仕事を出せ」「お前ら何をしているんだ」、「ばかやろう」、「俺達を殺すのか」「東京都に抗議しよう。」等といつた激越なアジ演説をしているところへ、前記のとおり、午前七時二分ころ、原告が窓口2番を通して相談室内へ爆竹を投入したこと

(三)  右爆竹の連続破裂音がするや、相談室内にいた同センターの職員らはすべての窓口のシャッターを閉鎖したうえ直ぐ西隣りの事務室に避難し、マイクを通じて労務者らに自粛を訴え、同時に紹介事務の打切りを通告するに至つた。ところが、労務者らは、自粛するどころか、益益気勢をあげ、窓口のシャッターをたたいたり、窓口下のコンクリート壁を蹴とばす等して騒ぎを助長させていたが、こうした状態が約二〇分位続いたころ、突然何者かが火をつけた新聞紙を4番窓口から(同窓口の閉されていたシャッターに連続的に打撃を加え、無理にこじ開けたものと推認される。)相談室へ投入する事件が発生した。

(四)  太田・松下両警察官は、以上の経過を前記A・B各地点から終始観察を続けていたが、原告の本件犯行を現認した直後は、機会あらば同人を逮捕しようと相互に確認していた。

(五)  寄場内での放火事件が発生したとき、同センター近辺において私服警察官約二〇名を指揮していた浅草警察署の後藤警備課長が「入れ」という命令を下したので、太田・松下両警察官はこれを好機として同センター北側の出入口から寄場内に踏みこみ、原告の近くに接近し、松下が「沼田」といつて、原告の体に手をかけたが、原告はすばやく労務者らの中に入りこみ、一団となつて東側の出入口から路上に脱出してしまつたので逮捕は失敗に終わつてしまつた。やむを得ず松下は、北側の出入口から路上に出たところ、原告の仲間である山岡が同僚の警官の逮捕を免れるため逃げようとしている現場に直面したので、直ぐ右逮捕に協力し、右山岡を山谷警部派出所へ連行するのに同道した。

(六)  他方、太田警察官も原告を取り逃した後、センター北側出入口から路上に出たあと、原告を逮捕すべく同人ら仲間グループの行方を追つて進んでいつたところ、センター近くの山谷泪橋交差点方面路上に爆竹を投げたりして気勢をあげながら進んでいく約二、三〇名の労務者の一団の中に原告が加わつているのを発見したので、右集団に追尾していたところ、前記のとおり、山岡逮捕の協力を終えて再び労務者の集団の方へ接近してきた松下警察官と再会したので、両名は再び原告逮捕の機会をうかがいつつ、引続き右集団に追尾しながら進んでいつたところ、まもなく前記「あさひ食堂」前路上において原告が右集団から離れたので、即刻両警察官は威力業務妨害罪の現行犯として原告を逮捕した。そして同人を山谷地区派出所に連行し、上衣を捜索したところ、上衣のポケットから未使用の爆竹袋、マッチ等を所持しているのを現認したのでこれを押収し差押を行なつた。

以上の事実を認めることができる。従つて、本件寄場内の前記のような騒然たる状況下において警備に従事する両警察官が原告の本件犯行を目前に現認したからといつて直ちに寄場内に踏みこみ、原告を逮捕しようとしても、原告の仲間らに妨害されるばかりでなく、警察官の人数と労務者側の人数を対比しても逮捕する者の側の身体にさえどのような危害が加えられるか予測がつかないのであつて、むしろ警察官としては、職務上、前記状況の推移を的確に見届けたうえ、逮捕の機会を選ぶことの方がより妥当であつたというべきである。従つてまた、両警察官らが右状況下において事態の推移を見守ることに専念し、現場を離れて原告の犯行を直ぐ上司に報告しに行かなかつたのはむしろ当然というべきである。(なお、証人押谷の証言によれば、本件のような場合において警察官が直ぐ上司に報告しに行くことは通常考えられないことが認められる。)

こうして、両警察官は、一度は原告逮捕に失敗したとはいうものの、約四五分後にセンター近くの路上において原告を逮捕するに至つたものということができるから、右原告の逮捕行為は、以上の経緯からすれば、現行犯逮捕として適法な職務行為と解するのが相当であつてなんら不自然なところはない。

よつて、太田・松下両警察官の原告逮捕は、原告が泪橋付近路上で投げた爆竹に触発され、これを寄場内の爆竹投入行為とすり替えた違法行為であるとする原告の主張は独断であり失当というほかない。

又、右に判示したところからすれば、労務者は無抵抗であり、山岡を逮捕できたのに原告を逮捕できなかつたことはおかしいとする見方も採ることができないのは明らかである。

7  更に、太田・松下両警察官が現認した本件寄場内における原告の爆竹投入行為が、事実に反するのではないかと窺わせる証拠も存在するので以下これらを検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、本件刑事事件の公判において証人山岡憲一は、事件当日本件寄場の紹介窓口2番と3番付近にいたところ近くで爆竹の破裂音を聞いたこと、しかし、その直前自分の周りに原告はいなかつたし、当日朝から寄場内に原告の姿は全く見かけなかつた旨の供述記載がある。

しかしながら、他方、当審証人強瀬豊吉の証言によれば、事件当時浅草警察署公安係巡査部長の職にあつた右強瀬は、センター付近の警備のため事件当日朝七時ころ、寄場北側の腰高ガラス(原判決別紙図面(一)B点付近)から寄場内の労務者の動静を観察していたところ、本件爆竹の破裂音を聞いたこと、その直前に窓口2、3番の前付近にいわゆる現闘委グループである宮腰隆夫、島田鋭二こと山岡憲一、麻生某、久留某ほか何名かが労務者らに向つて「もつと仕事を出せ」とか、「都に抗議しよう」とかいつたことを訴えていたが、一団となつていた右グループの中に原告もいて、これらの仲間に同調する行動をしていた旨具体的に供述しているのであつて、右証言に対比すると、証人山岡憲一の前記供述記載は全く信用できないものである。

(二)  〈証拠〉によれば、本件刑事事件の公判において証人平尾靖政は、原告とは顔見知りの間柄であるが、本件事件当日寄場内にいたところ、爆竹の破裂音を聞いた二〜三分前に寄場内の水飲場(原判決添付図面(一)のC点柱の西側)近辺で原告の姿を見かけたとの記載があり、一見本件事件発生の際(すなわち午前七時二分ころ)、原告が本件犯行現場である窓口2番付近にはいなかつた趣旨の証拠として理解できないこともない。

しかしながら、〈証拠〉によれば、本件事件発生前である午前六時五〇分すぎ、原告は現闘委グループの仲間である宮腰ら七名位とともに寄場の東側出入口から同所に入場し、C点柱付近を通つて窓口2、3番の前に進み寄り、すでに認定したとおり、宮腰らにおいて労務者に向いアジ演説を始めたところ、午前七時二分ころ本件事件が発生したのであるから、右場所及び時間の関係からみて、前記証人平尾の供述記載は、原告が本件事件発生時に本件犯行現場である窓口2番付近にいたことと何ら矛盾しないものというべきである。

(三)  〈証拠〉によれば、本件刑事事件の公判において証人熊田薫は、本件事件発生当日、寄場内において前示認定の水飲場付近に原告のいるのを見かけたこと、その後同証人は寄場東側の出入口から路上に出て歩き始めたところ、バンバンという音を聞いたこと、そして右音響を聞いたのは原告を見かけてから約一分位経つてからのことであつたという記載がある。

しかし、同証人の供述の中には、原告が水を飲んでいるのを見た直後に時計を見たところ、六時五〇分であつたが、その一分後位にバンバンという音を聞いたという趣旨のものもあり、全体として同証人の供述は必らずしもはつきりしないのであつて、このことからすれば、前記甲第一〇八号証について説示したと同様、証人太田・同松下の各証言(いずれも原審)と対比すれば、甲第一〇九号証は原告が本件犯行現場にいなかつた趣旨の証拠として採用するに値しないものというべきである。

(四)  〈証拠〉によれば、本件刑事事件の公判において、証人町田和正は、事件当日、寄場内の水飲み場(前記C点)の北側近辺にいたところ、爆竹の破裂音がしたので、驚いてすぐ周囲を見廻したところ、窓口6番の前あたりにいた原告のにらみつけるような視線と瞬間的に出合つたが、自分と原告との間には労務者は誰もいなかつたという趣旨の供述記載がある。

右によれば、本件事件の発生したとき、原告は爆竹投入のできない場所にいたということになり、同人が本件犯行に及ぶのを目撃したという前記太田・松下両警察官の供述ないし証言はすべてその根拠を失うこととなるのである。

しかしながら、同証人の供述から次のような事実も窺われるのである。すなわち、

① 同証人は、本件事件発生後七ケ月も経つてから日雇いの仕事場で偶然原告と出会し、本件刑事事件の証人となるよう依頼されたこと

② 同証人が事件当日寄場内で原告を見たというのは、爆竹の破裂音を聞いたその瞬間だけであり、その前後の原告の行動には全く関心を払つていないこと

③ 同証人と窓口6番の前あたりにいたという原告との間に他の労務者が全然いなかつたという同証人の供述は、事件発生前後の寄場における労務者の状況(すなわち、前記甲第一〇九号証及び原審証人松下星路の証言によれば、C点の柱から窓口4番あたりにかけて労務者がかなり屯していたことが窺われる。)からみて不自然であること

④ 同証人は、原告ら現闘委グループといつしよにマンモス交番(山谷警部派出所)への抗議行動(前記山岡憲一の逮捕に対するもの)や街頭行進に参加したり、さらに、原告が泪橋交差点に向う道路上で爆竹を投げたことを目撃するなど本件事件発生後、ほぼ原告と行動を共にしておりながら、原告がまもなく同路上で警察官に逮捕されたことを知らないと述べていること

以上要するに、同証人の供述は、事件当日から一〇ケ月以上経過した過去の瞬間的な出来事を確信的に述べている割には、肝心の本件事件発生の前後関係の記憶が極めてあいまいかつ抽象的であつて、全体として正確性を欠くのではないかとの疑いを払拭できず、前記太田・松下各証言と対比するとき、たやすく右供述を採用しがたいものといわざるを得ないのである。

以上検討したところにより、前記各証拠は、原告が事件発生の前後において寄場窓口2・3番付近にいて窓口2番から爆竹を投入したという太田・松下両警察官の前記各供述記載・証言を排斥するに足りるものということはできず、またこの他にそのような証拠は見当らないというべきである。そして、前記甲第一三二号証(本件刑事事件の公判における原告本人の供述調書)中、以上の認定と牴触する部分は前掲各証拠に照らし採用しない。

8  なお、証人押谷の証言によれば、警備事件で逮捕警察官が現場の実況見分に立ち会うということは殆どなく、本件においても、原告の本件犯行を目撃した太田・松下両警察官が実況見分に立会つていないが、それは同実況見分が本件犯行現場の確保を緊急になすべき必要から、両警察官が浅草警察署において本件事件について取調べを受けている間に即日それが実施されたことによるものであることが認められるから、本件において右両警察官が実況見分に立ち会つていないことはなんら不自然ではないというべきである。

五司法警察職員の違法行為について

以上の検討によれば、太田・松下両警察官が、本件寄場内窓口2番付近にいた原告が右窓口を通じてセンター相談室内へ爆竹を投入したことを現認したとし、これに基づいて原告を威力業務妨害罪の現行犯として逮捕したこと及びその後原告に対して取調等の行為をしたことは違法とはいえないことは明らかであり、従つて司法警察職員による違法逮捕及び逮捕後の違法行為との原告主張は失当として排斥を免れない。

六検察官の違法行為について

原告の主張する検察官の違法行為(勾留請求、勾留継続、起訴及び公訴維持)は、司法警察職員の違法逮捕を前提とするものであるが、前示のように、右違法逮捕を認めることができないのであるから、原告の右主張は既にこの点において失当として排斥を免れない。なお、〈証拠〉及び証人押谷の証言を綜合すれば、同証人は本件事件の捜査担当検察官として捜査活動を行い、十分な根拠をもつて勾留請求、勾留継続及び起訴をしたことが認められ、これらの行為はなんら違法性を有するものではないというべきである。又、本件起訴が違法性を有しないのであるから、本件公訴維持も違法性を有するものではない。

七結論

以上により原告の東京都及び国に対する本訴請求は、その余の点につき審究するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

よつて、本件昭和五七年(ネ)第二六八五号控訴事件については、被控訴人(原告)の東京都に対する請求を一部認容した原判決(同主文第一項)は失当であるから、民訴法三八六条により、同判決中、控訴人(被告東京都)の敗訴部分を取消し、被控訴人沼田陽一郎の控訴人東京都に対する本訴請求を棄却すべく、昭和五七年(ネ)第二八二五号控訴事件については、控訴人沼田陽一郎の被控訴人国に対する本訴請求を棄却した原判決は相当であるから同法三八四条により同控訴人の本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官武藤春光 裁判官菅本宣太郎 裁判官山下 薫)

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